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2018年12月22日土曜日に行われた「SDGsを知るプチ文化祭〜ネパールの映画、歌、子どもの人権に関する研究発表会を通じて〜」は参加者13名、スタッフ+関係者7名の合計20名に見守られつつ、無事に終了いたしました。
イベント概要
2018年12月22日土曜日
主催: スンダリ国際支援連絡会議
会場: レンタルスペースGrain高円寺
参加費:3,500円(ワンドリンク・スナック付き)
※ネパールのコーヒーや紅茶を提供してくださったのは、楽天でネパール産コーヒーのショップをされていますヨギヒロネパールさんです。
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写真 田嶋 登
都内で小学校教諭をされている道端ひさなさんの司会進行で会は始まりました。道端さんはNPO法人 ネパール野球ラリグラスの会の理事もされており、スポーツを通じた日本とネパールの国際交流事業をされています。
道端さんからカタプタリを撮った映画監督さんである伊藤敏朗さんの経歴が紹介されました。
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写真 スンダリミカ
伊藤監督はこれまで、「カタプタリ~風の村の伝説~」(08年)、「カトマンズに散る花」(13年)、「カトマンズの約束」(17年)のネパール映画3部作を監督されており、1作目のカタプタリでネパール政府国家映画賞受賞されています。
内容
13:15 受付 13:30 開演
■ネパール映画(51分)
伊藤敏朗 監督作品
『カタプタリ~風の村の伝説~』
ストーリー:神の山から降りてきた妖精と、人間の子どもの心の交流を描いたファンタジー。 ネパールの農村文化や、カトマンズ渓谷の伝統的街並み保存活動、環境問題などを取り上げつつ、 人が天啓として与えられた心のあり方について静かに訴えた作品。
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写真 田嶋 登
伊藤先生ご自身によるカタプタリ映画の解説の中で印象的だったのは「台本には(病気のおばあさんの枕元に)薬の瓶が置いてある、とかかれていたけれども、その台本を読んだネパール人スタッフから 『こんな田舎で病気になって薬を飲む人はいない、祈祷師を呼んで祈ってもらい、祈りが通じれば病は治るし、通じなければ、その人は死ぬというのがここでの習わしだ』といわれ、そのようにストーリーを変更した」というエピソードでした。
私も日本の歌の歌詞をネパール語に訳す作業をしていて、「そんな言い回しはネパールではしない。」ということを訳者とのディスカッションでたびたび言われることがありますが、国が違えば物事に対する考え方や感じ方や対応の仕方が全然違うんだということを日々実感しています。
伊藤監督のカタプタリがネパール人の目線に立って撮られた作品であることを感じさせるエピソードでした。
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参加者からの感想で多かったのは、ネパールの原風景を十分に堪能でき、ネパールの自然の豊かさ、文化的な豊かさを知ることができた というものでした。参加者の平均年齢が高かったこともありますが、現在40代以上の日本人にとってネパールはかつて自分たちが過ごした日本の原風景を思い起こさせるのに十分なものであったようです。
15歳になったラメスが祖母の病気を見舞いに風の村を訪れ、再び妖精ニシャと出会ったときに、ニシャから「この村で一緒に暮らそう、この村から出ていってはダメ!」と通せんぼをされるシーンでは思わず涙があふれた、という声もききました。ネパールの村にも押し寄せる近代化の波や今よりももっと良い暮らしをしたいと願うネパール人の海外への出稼ぎといった社会的背景を思い、私もこのシーンではいつも胸がつまされます。
いくつか映画の感想を紹介します。
短編映画『カタプタリ』良い映画でした。派手さはありません。でもお婆さんが死に際で『たくさん勉強していい大人になりなさい』という孫に残した言葉が心に残っている。いい大人とは?成績さえ良ければいいと思うネパール人の親たちは、子供が金儲けをしてくれるのを望んでいるのだろうか??日本人も同じ考えの人も居るかもね。(女性 50代)
ネパール映画「カタプリ」は2度目でしたが、伊藤監督の解説でより深く理解できました。新鮮でした。(男性 60代)
■スンダリミカ ネパールの歌とトーク
補習教室プロジェクト実例の報告
映画に引き続きスンダリミカの歌とトークのコーナーでした。
最初にTERAKOYAプロジェクト(放課後の補習教室運営)の経緯を説明する動画を見てもらいました。
ネパール語による歌のコーナー
1)スンタラパニ ネパール語のジャウレ民謡
2)ジグトゥマン ネワール語のネワール民謡
同じネパールという国の民謡でも民族が変われば言葉の響きもリズムも変わるということを伝えたくてこの2曲を選曲しました。
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写真 田嶋 登
続いて日本の曲をネパール語の歌詞で歌うというコーナーです。
3)デイドリームビリーバー タイマーズ Kebal timi mattara:彼女だけが唯一の
亡くなった母親のことを思って4月の新月にあたるネパールの母の日にマタティルタ寺院にお参りに行くというストーリーの歌詞にしました。この曲はセブンイレブンのCMソングにもなっていますが、セブンイレブンで働く外国人留学生の脳裏にも染みついているメロディーででしょう。同じ曲を聞いて、同じ思いを抱くことができたらと思って選曲しました。
केबल उनी मात्र
彼女だけが唯一の
Maile unilai khojethe pratyek praharmaa
मैले उनीलाइ खोजेथें प्रत्येक प्रहरमा
私は彼女を探していた いつもどんなときも
Aba katai paainna unilai najarmaa
अब कतै पाइन्न उनीलाइ नजरमा
もうどこにも彼女を見かけることはない
Aankha chimli kalpie tyo nyano panko
आँखा चिम्ली कल्पिए त्यो न्यानो पनको
目をつむって思い出す あのあたたかい日々を
Kahali lagdochha samjhanaa mutumaa
कहाली लाग्दोछ सम्झना मूटुमा
彼女との思い出が胸にこみあげてくる
Sapanimaa pani bipanimaa pani
सपनीमा पनि बिपनीमा पनि
夢の中でも現実でも
Sadhai sadhai kebal uni mattra
सधै सधै केबल उनी मात्र
いつもいつも 彼女だけが唯一の
uni ta meri rani
उनी त मेरी रानी
私の女王様です
Bholi ta feri aunshiko din yo mahinako
भोली त फेरी औंसिको दिन यो महिनाको
明日はまたこの月の新月が巡ってくる
Najar paryo tasbirmaa uni hanseko
नजर पर् यो तस्बीरमा उनी हाँसेको
笑っている彼女の写真と目があう
Aba unilai bhetna napaune bhaen ma
अब उनीलाइ भेट्न नपाउने भएँ म
もう彼女に会うことができないなら私は
Unkai yaadmaa jaanchhu maatatirthamaa
उनकै यादमा जान्छु मातातिर्थमा
彼女の思い出と一緒にマタティルタ寺院に行きます
Tyo aadarshata tyo atmiyta
त्यो आदर्शता त्यो आत्मीयता
その敬意 その親しみの気持ち
Sangai sangai kebal uni mattara
संगसंगै केबल उनी मात्र
それらと一緒に 彼女だけが唯一の
Uni ta meri rani
उनी त मेरी रानी
私の女王様です
Risaera jau ya najik aau रीसाएर जाउ या नजीक आउ
怒って行ってしまったことも また近くに来たことも あった
samipamaa kebal uni mattra
समीपमा केबल उनी मात्र
すぐそばに 彼女だけが唯一の
Uni ta meri rani
उनी त मेरी रानी
私の女王様です
Aabhari chhu ma kritagya chhu ma
आभारी छु म कृतज्ञ छु म
私は彼女に感謝しています
Harpalmaa kebal uni mattra
हरपलमा केबल उनी मात्र
どんなときでも 彼女だけが唯一の
Uni ta meri rani
उनी त मेरी रानी
私の女王様です
Bisvasamaa pare samjhouta gare
बिश्वासमा परे सम्झौता गरे
信じていた 約束した
Saraasara kebal uni mattra
सरासर केबल उनी मात्र
いつでも 彼女だけが唯一の
Uni ta meri rani
उनी त मेरी रानी
私の女王様です
Sapanimaa pani bipanimaa pani
सपनीमा पनि बिपनीमा पनि
夢の中でも現実でも
Sadhai sadhai kebal uni mattra
सधै सधै केबल उनी मात्र
いつもいつも 彼女だけが唯一の
uni ta meri rani
उनी त मेरी रानी
私の女王様です
原曲:The Monkees Daydream Believer
日本語詞 ZERRY(タイマーズ)
ネパール語訳詞 Sundari mica/Shankar Thapa
4)島人の宝 BIGEN Hamro Gourab ra garba:私たちの誇り
ネパールの空、山、歌について自分はどれくらいのことを知っているのだろうか。私たちの国の自然や文化は私たちの誇りと尊厳です、という内容で訳しました。来日前の本国で日本のことを知る教材の一つとして聞く機会のある曲だということを現役留学生からうかがい、選曲しました。
hamro gourab ra garba
हाम्रो गौरब र गर्व
私たちの誇り
Malai janma dieki yo deshko aakashlai
मलाइ जन्म दिएकि यो देशको आकाशलाई
私を育んだこの国の空を
Maile kati samma bujheki hula
मैले कति सम्म बुझेकी हुँला
私はどのくらい知っているのだろう
Chamkilo jun taara fatera jane baadal
चम्किलो जून तारा फाटेर जाने बादल
輝く星も 流れてゆく雲も
Tyesko aakaarko naam sodhe pani thaha chhaina
त्यसको आकारको नाम सोधे पनि थाहा छैन
その形の名前を聞かれても わからない
Taipani aru bhanda maile bujheki chhu
तैपनि अरू भन्दा मैले बुझेकी छु
でも ほかの誰よりも私は知っている
Dukhako bela khushiko bela
दुःखको बेला खुशिको बेला
辛い時も 嬉しい時も
Sadhai sadhai niyaleko tyo aakashlai
सधैं सधैं नियालेको त्यो आकाशलाई
いつもいつもじっと見つめていたあの空のことを
Pathya pustakmaa lekheko kura maatarale pugdaina
पाठ्य पुस्तकमा लेखेको कुरा मात्रले पुग्दैन
教科書に書いてあることだけでは足りない
Tara mahatwpurna kura yahan hunuparchaa
तर महत्वपूर्ण कुरा यहाँ हुनुपर्छ
でも 大切なことがここにあるはず
Yehi ho hamro gourab ra garba
यहि हो हाम्रो गौरब र गर्व
それが 私たちの誇り
Malai janma dieki yo deshko pahadlai
मलाइ जन्म दिएकि यो देशको पहाडलाइ
私を育んだ この国の山を
Maile katisamma bujheki hula
मैले कतिसम्म बुझेकी हुँला
私はどのくらい 知っているだろう
Maili jane goreto faadieko van
मैली जाने गोरेटो फाँडिएको वन
汚れていく山道 無くなっていく森
Herda pani duhkha lagchha mero deshko dhan
हेर्दा पनि दुःख लाग्छ मेरो देशको धन
見ているだけで辛くなる 私の国の宝
Taipani aru bhanda maile bujheki chhu
तैपनि अरू भन्दा मैले बुझेकी छु
でもほかの誰よりも私は知っている
Hawale udai ferine rupa
हावाले उडाइ फेरीने रूप
風に飛ばされ 変ってゆく姿
Sadhai sadhai niyaleko tyo pahadlai
सधैं सधैं नियालेको त्यो पहाडलाइ
いつもいつも じっと見つめていたあの山を
TVmaa nadekhine rediyomaa nasunine
टीभिमा नदेखिने रेडियोमा नसुनिने
テレビでは見せられない ラジオでも聞かせられない
Tara mahatwpurna kura yahan hunuparchaa
तर महत्वपूर्ण कुरा यहाँ हुनुपर्छ
でも 大切なことがここにあるはず
Yehi ho hamro gourab ra garba
यहि हो हाम्रो गौरब र गर्व
それが 私たちの誇り
Malai janma dieki yo deshko geetlai
मलाइ जन्म दिएकि यो देशको गीतलाइ
私を育んだ この国の歌を
Maile katisamma bujheki hula
मैले कतिसम्म बुझेकी हुँला
私はどのくらい知っているだろう
Rajamati pani saakela sili pani
राजामति पनि साकेला सिली पनि
ラジャマティも サケラシリも
Thaha chhaina ysko artha pani
थाहा छैन यसको अर्थ पनि
わからない その歌の意味さえ
Taipani aru bhanda maile bujheki chhu
तैपनि अरू भन्दा मैले बुझेकी छु
でも ほかの誰よりも私は知っている
Khushiko saajha hos ya chaadko bihani
खुशिको साँझ होस् या चाडको बिहानी
喜びの夕べ や お祭りの朝 で
Kataibata gunjine tyo geetlai
कतैबाट गुन्जिने त्यो गीतलाइ
どこからともなく 聞こえてくるあの歌を
Kunai din yo desh chhodera bideshinu agadi samma
कुनै दिन यो देश छोडेर बिदेशिनु अगाडि सम्म
いつの日かこの国を離れ 外国に行くその時まで
Yesko mulya mahatwlai gahiraaimaa bujhnu
यसको मुल्य महत्वलाइ गहिराइमा बुझ्नु
その重みや大切さを深く知りたい
Yehi ho hamro gourab ra garba
यहि हो हाम्रो गौरब र गर्व
それが 私たちの誇り
作詞・作曲:BEGIN
ネパール語訳詞:Sundari mica/Shankar Thapa
5)糸 中島みゆき Mayako Dori:愛の糸
日本では結婚式のときに歌う代表的な歌であるという中島みゆきさんのオリジナル曲の背景を踏まえ、嫁ぐ日のことを思い村娘が織物をするというストーリーでネパール語詩を作りました。
Mayako dori
मायाको डोरी
愛の糸
Kina huncha hola bhet ghaat
किन हुन्छ होला भेट घाट
どうしてでしょう 出会うのは
Hamilai kehi thahaa chhaina
हामीलाई केही थाहा छैन
わたしたちは なにも 知らない
Kahile huncha hola bhet ghaat
कहिले हुन्छ होला भेट घाट
いつなんでしょう 出会うのは
Hamilai kahilai thaha funna
हामीलाई कहिलै थाहा हुन्न
私たちは どんな時も 知ることがない
Kaha thiyo timi ani ke gardai thiyo
कहा थियौ तिमी अनि के गर्दै थियौ
どこにいたのあなたそして何をしていたの
xitija paariko tyo
क्षितिज पारिको त्यो
水平線の向こう
baadal muni lukeka hamro katha
बादल मुनि लुकेका हाम्रा कथा
雲の下に隠された私たちの物語
Eutai taan ko dori hami
एउटै तान को डोरी हामी
一つの機織り機にかかった糸である私たち
atut hamro sambandha
अटुट हाम्रो सम्बन्ध
切り離すことができない私たちの関係
Buneko rumaalale kunai din usko
बुनेको रुमालले कुनै दिन उसको
織り上げたハンカチはいつの日か彼に
Maya chhaula jivanmaa
माया छाउला जिवनमा
愛をもたらすでしょう 人生で
Kina ho jiunai parne yo jivan
किन हो जिउनै पर्ने यो जीवन
なぜ生きなければならないのでしょうか この人生を
Almaliekaa ti dinkaa pidaharu
अल्मलिएका ती दिनका पिडाहरु
どうしていいかわからず困惑していたあの日の痛み
Laxya chumna doudiera
लक्ष्य चुम्न दौडिएर
目標に向かって駆けながら
Ladekaa ti dinkaa pidaaharu
लडेका ती दिनका पिडाहरु
転んだ あの日の痛み
Aafnai jivanko artha nabujhi
आफ्नै जिवनको अर्थ नबुझी
自分の人生の意味が分からなくて
Nirasaa hundai roeka bataas ani hawaharumaa
निरासा हुँदै रोएका बतास अनि हावाहरुमा
寂しい気持ちで泣いた 嵐そして風の中で
Eutai taan ko dori hami
एउटै तान को डोरी हामी
一つの機織り機にかかった糸である私たち
atut hamro sambandha
अटुट हाम्रो सम्बन्ध
切り離すことができない私たちの関係
Buneko rumaalale kunai din usko
बुनेको रुमालले कुनै दिन उसको
織り上げたハンカチはいつの日か彼の
Mutuko ago nibhaulaa jivanamaa
मुटुको आगो निभाउला जिवनमा
心の中の炎(辛い思い出)を消すでしょう人生で
Eutai taan ko dori hami
एउटै तान को डोरी हामी
一つの機織り機にかかった糸である私たち
atut hamro sambandha
अटुट हाम्रो सम्बन्ध
切り離すことができない私たちの関係
Manle chaheko maanchhe paunu nai
मनले चाहेको ,मान्छे पाउनु नै
心が求めた人を手に入れることこそ
Sukhi ra Khushi jivana rahechha
सुखी र खुशी जिवन रहेछ
幸せで嬉しい人生というものです
オリジナル楽曲 作詞/作曲 中島みゆき
ネパール語歌詞 Santosh Neupane/Sundari Mica
司会をしてくれた道端さんの結婚披露パーティーが12月15日にあったばかりでしたが、その時にもこの曲を歌わせていただきました。
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写真 田嶋 登 ネパールではお嫁さんはこのような赤いベールをかぶるんですよ。というようなお話なども盛り込んで歌わせていただきました。
最後に日本とネパールをつなぐ新曲を2曲歌いました。
6)ネパール蕎麦音頭 日本とネパールを蕎麦でつなぐ盆踊り風のライ民族の民謡
富山県の南砺市にある利賀村はネパールのトゥクチェ村と姉妹村提携を結んでから30年経つそうです。毎年2月に行われている南砺利賀そば祭りでネパールとの友好関係をアピールできるような楽曲があったらいいだろうな、という思いを込めて「蕎麦の花が咲いたよ」というライ民族の伝統的なダンス曲 SAKELA のスタイルの新曲を2018年の9月にネパールで作りました。
7)7つの海の向こうから ネパール観光年2020年応援ソング
2011年の観光年の時にはレッサンフィリリという5つの民族の言葉でうたう楽曲を作りましたが、今回はネパール国内をあちこち旅してまわりネパールの良さを再発見するという内容のツーリズムイヤー応援ソングをつくりました。今後、ネパール観光年のイベントなどで歌えたらいいなと思っています。
全部で7つの歌を歌った後、最後に放課後補習教室プロジェクトについての現在の進行状況を報告しました。(中間報告公式レポートはこちらをご覧ください。)
中間報告をするにあたって、現地パートナーNGOに対して私が特に何度も念を押して確認したのは、日本の無料塾のシステムを見習って、教える人の人件費(給料)はかけないこと、給食の費用が掛かるとしても一部を子供たちの親にも負担させ、地域もそれを支えられるようなシステムを作ること。生計向上プログラムを組み込んで母親たちの経済的自立と補習教室運営が同時に実現できるような仕組みを作ること。といったことでした。
11月21日から試験運営が始まり、実際にはまだ4回ほどしか放課後補習教室は実施されていない中での中間報告でしたが、今後の実施状況を継続的に追跡していきたいと思います。
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写真 田嶋 登 受付の募金箱に3000円の寄付金が入っていました。放課後補習教室プロジェクトに寄付したいと思います。ありがとうございました。
そして、第3部のディネスさんのプレゼンテーションに移りました。
■プレゼンテーション
『日本におけるこれからの多文化教育と子どもの人権について』
東京大学博士課程 Dinesh Joshiさん
ディネスさんからは移民家族の子供たち(18歳以下)の教育問題についての貴重なプレゼンテーションがありました。
日本にいる約8万人のネパール人移民のうち、1割が18歳以下の子供たちであるといわれています。移民の子供たちの教育問題を考えるうえでキーワードになる5つのAについて説明がありました。
Available 入手しやすいこと
Accessible アクセスしやすいこと
Affordable 手ごろな価格であること
Acceptable 受け入れられること
Adaptable 適合できること
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写真 田嶋 登
日本に暮らすネパール人労働者の80%がネパールレストランのコックさんであると言われています。収入や労働時間に制限のある彼らが自分たちの子供の教育環境を考える上で、地域の公立学校で教育させることが最も可能性の高い選択肢であるといえますが、
Available 入手しやすいこと
Accessible アクセスしやすいこと
Affordable 手ごろな価格であること
この3つは満たせたとして、果たして、日本の公立学校は以下の2つのAについての理解や対策が進んでいるといえるでしょうか?
Acceptable 受け入れられること
Adaptable 適合できること
ディネスさんは日本の公立学校は移民の家族の子供たちとその保護者が安心して子供を通わせられるような環境作りがまだできていないのではないかという問題提起をしてくれています。
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プレゼンテーションの結論としては、移民の子供達に対する教育対策をきちんととらなければ今後増え続ける移民家族の子供たちの人権の侵害にもなりかねないと警鐘を鳴らしています。
ディネスさんの発表については参加者からの感想がこのように寄せられました。
(移民の子供たちのことを)どの公立小中校でも概ね好意的に受け入れられているが、システムとして確立されておらず、現場の努力に支えられている、政策をきちんと考えないで海外人材を単なる「cheap labor」と見做して受け入れるだけではドイツの二の舞になる、全くその通りだと思う。現状は属人的な活動に頼っていると、来場された大多数の現役の先生方も仰っていた。移民は本邦の政策にあらず、海外から子女は入って来ない、などと言ってる場合ではない。(50代男性)
ジョシ・ディネスさんのプレゼンテーションは素晴らしい内容でした。プレゼン終了後、参加者(小中学校の先生たち、米国NJ駐在体験者)からのコメントは興味深く印象的でした。(60代男性)
今日初めて会ったディネスくん。彼は東京大学 博士過程で移民家族の子供の教育について勉強をしているとのこと。ネパールからアジア太平洋立命館大をでて国連大学 それから東大へ。素晴らしい人材ですねぇ。応援したいです。(50代女性)
16:30 参加者コメント
17:00 終了
イベント終了後、17:00-17:30までは参加者とプレゼンテーターの間で名刺交換などの交流がもたれました。この映画を自分でも上映してみたいという参加者が監督と名刺交換をしたり、再来年の国際音楽イベントにスンダリミカさんも歌で参加してみませんか?と誘われたりしました。次につながりそうなお話をいただけてうれしいです。
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イベント終了後、1階の中華料理屋さんでスタッフによる打ち上げ反省会を持ちました。
イベント会場を提供してくださったGrainのマスターからも後日このような感想をいただきました。
Mica さん企画のネパールのイベント、伊藤敏朗監督のどこか懐かしさを感じる映画、Mica さんの情熱、想いあふれるネパールと日本をつなぐトークと歌、Joshiさんの大変重要なプレゼンテーション、そしてご出席されていた都内小中学校の先生方の海外からの子供たちが増えている教育現場の状況と先生方の大変な苦悩。私にとっては思いがけなく深い意味あるイベントでした。
年末のお忙しい中、3時間に及ぶ長いイベントに参加してくださいました皆様ありがとうございました。